崖病院
ブダ城の岩室内の「崖病院」
ハナク ヤノシ
去年はブダ城の崖の中に新しくておもしろい博物館が公開されました。「崖病院」という光景として観光客にだけじゃなくて、ハンガリー人にも興味深い所だといわれています。
この場所を城を建てるために選んだのはベーラ四世という王様でした。ハンガリーが韃靼(だったん)の軍隊にぼろぼろにされてしまった後の建て直し運動を始めた王様は、ブダ城の建設を十三世紀に命令して、早くも最初の建設のときに崖の中に空洞を発見しました。城と周りに住んでいた人々はどんどん空洞(くうどう)を広げ、連絡通路(れんらくつうろ)ができるようにしました。また、自分の蔵庫と癲狂院(てんきょういん)が入った城を持つことによって城を守る人に戦況が有利に展開する保証にもなりました。しかし、第二次大戦の少し前に連絡通路が固められて入り口の数も限られました。崖内は以前に砲撃(ほうげき)の場合に防空壕(ぼうくうごう)に変えようという計画がありましたがDR. センディ・カロルという市長は外科病院(げかびょういん)としての癲狂院を作らせました。
病院は1944年の五月の空襲(くうしゅう)の後(あと)から利用されようになりました。救急医療機関(きゅうきゅういりょうきかん)は三つの大きな病室とひとつの小さな病室とその当時の手術室で患者(かんじゃ)を待ちましたが、三百人の定員の病院には、あるとき約七百人も詰め込まれてしまったそうです。崖病院では怪我をした軍民の傷を手当しましたが、患者が多すぎて病室がいっぱいになってしまったとき、怪我をした者は崖内の他の部屋や連絡通路などへ追(お)いやれ、担架(たんか)に置かれてしまいました。自分の誘電子(ゆうでんこ)が入(はい)っているので、この病院はブダペストが重囲(じゅうい)された時にも手当をし続けることができました。
ブダペストの重囲と戦争が終わって1945年の六月には病院が閉められました。崖病院がもう一回病院として使われ始めたのは1956年の革命の時でした。1958年からこの場所は新しい役割をもらいました。核戦争(かくせんそう)の恐怖がだんだん増加してくるにつれて、崖病院には核戦争の時のための癲狂院(てんきょういん)として考えられてきました。六十年代にこの考え方を持って病院は建て直されましたが、軍事技術の急激(きゅうげき)の発展でこの新しい当世風の状態もすぐに廃(すた)れてしまいました。

2007年には半世紀以上の歴史を持っている病院はハンガリーの戦史院と戦史博物館にもう一度建て直されて、戦争時代の状態を拝見できるための博物館を作り上げられました。客は火曜日から日曜日まで1500フォリントでこの歴史全部を見ることができるようになりました。
COMMENT
不思議ですね
崖の中の病院ですか、とても珍しいですね。
ブダ城からつながっているのでしょうか?
写真を見ると、とても崖の中とは思えません。実際に行ってどんなものか見てみたいです。
ブダ城からつながっているのでしょうか?
写真を見ると、とても崖の中とは思えません。実際に行ってどんなものか見てみたいです。
2008/12/04(木) 16:27:21 | URL | keiko #-[編集]
「自分の蔵庫と癲狂院(てんきょういん)が入った城を持つことによって城を守る人に戦況が有利に展開する保証にもなりました」とありますが
この病院が出来た当時、精神病院というのは軍も攻め込みにくいような特別な存在だったのでしょうか?
この病院が出来た当時、精神病院というのは軍も攻め込みにくいような特別な存在だったのでしょうか?
2008/12/04(木) 16:38:47 | URL | Omoto #-[編集]
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